禅小話

目次
はじめに 1 音  2 槍の位 3 只今に道を求めて歩む人生 4 大文字行 5 気概  6 お地蔵さん  7 後ろ姿   8 息 9 行儀 10 体で考える 11 馬鹿になる 12 終わりに 13 喫茶店のマスターと脚下照顧 14 宝蔵院胤栄 摩利支天石  15 饂飩(うどん)会について

6 お地蔵さん

平成10年10月18日(日)
 一 箭 順 三

 坐っておられる位置のことですが、この道場では面壁、壁に向かって坐らせていただいております。しかし壁にくっついて坐るということではありません。やはり壁との間合いも大切だと思います。膝が壁につくくらいに前に坐りますと、礼をするとき頭が壁に当たりそうです。坐布を畳の縁一杯に置き、壁との間合いを取ってゆったり坐られる方が良いのではないかと思います。

 それから、坐禅の始まる時には三つの鐘が鳴ります。一つ目で合掌、二つ目で礼、三つ目で印(いん)を組むことになっております。二つ目の鐘で礼をして頭を下げたまま三つ目の鐘を待っておられる方がありますが、二つ目では礼をして頭を上げ、三つめの鐘で皆が揃って一斉に印を組み坐禅に入る、とした方が気合いが入ると思います。

 今日はお地蔵さんについてお話ししたいと思います。
 鍵田先生は平素から寺、神社、お地蔵さんを大切にされていました。車に乗っておられて、運転している私に話をされている折りでも、道端の祠やお地蔵さんを横切る時には、話を止めて片手礼拝され、過ぎると静かに手を下ろして話を続けられました。
 また23日はお地蔵さんの日ということですから、この日にあわせて毎月、家の隣の五劫院と、三笠温泉下の山の墓「友墓(とんぼばか)」にある鍵田家の墓参りをされていました。この時も自分の墓だけでなく、ご縁のある方の墓をお参りされ、その他に無縁さん、お地蔵さんを特に大切にお参りされていました。お経もたくさんあげられましたし、お供えのお餅や花、線香まで他より多かったのです。
 これからの話は、先生に直接お聞きしたわけではなく、市長になられる前、実業家時代に書かれた冊子に書かれていたのを読んだことなのですが、先生は若い頃、三笠山に温泉が涌く夢を見て実際温泉を掘り当て、三笠温泉郷を作られました。又、これにつながる道路は新若草山ドライブウェイの有料道路として整備されました。
 先生は、絵描きはキャンパスに絵を描いて人に見せるだけだが、儂は大和平野に絵を描いて人に見せるのだ。山の上から見る大和平野は絶景で、観光こそ尽きることのない無尽蔵の資源なのだ。と仰り日本で最初の有料道路を高円山に造られたと聞いております。
 しかし、このドライブウェイや三笠温泉郷の建設は当時としては、景観問題等を引き起こし周囲から大反対の非難が起き、先生はこれの解決に大変ご苦労されたそうです。この状況の中で、ある人が「こうした反対を受けるのは、その土地の神様や、お地蔵さんを祭らんから、こうした怒りが人の口をして文句を言わしめるのだ。お地蔵さんを祭りなさい」という忠告を受けられたそうです。この忠告を受けて土地の神様やお地蔵様への礼を失したことに気づかれ、三笠山一帯のお地蔵さんをお祭りしたところ、不思議と反対の声が納まったそうです。
 たまたま解決すべき時期に来ていたから解決したのかも知れませんが、この話を聞いて成る程なと思いました。ここは私の土地と思っているお地蔵さんに断りもなしに、掘り返したり家を建てたりすれば、気分が悪いのも当然です。この怒りが、人の口をして反対を言わしめるのだろうと思います。
 私たちは自分だけの意志でものを言っていると思っているのですが、自分も分からないところで神様や仏様のご意志を話しているという時があるのかもしれません。
 私は以前、土地を管理するセクションにいたことがありました。土地には古い経緯があり、仕事をするにしても大概すんなり進むことはないのです。私は、自分の担当する土地で何か仕事をするときには、必ずその地域のお地蔵さんや祠に先にご挨拶をしてから仕事をさせていただきました。こうして仕事をさせていただいたときには、自分なりには順調に進んだ覚えがあります。
 誰でも人さんのお家へ行けば、そこのご主人に挨拶するのが当然のように、ここは私の土地と思っているお地蔵様がおられるとしたら、まずはご挨拶をし、訳を説明し、お許しをいただいてから、事を進めるのが筋ではないかと思います。「居ますがごとく斎祭れ(いつきまつれ)」と鍵田先生は中国古典の一節を引用して、ご先祖が今ここにおられるようにお仕えしなさいということだとよく話して下さった言葉です。お地蔵様や祠の神様にお会いしたら、まずご挨拶をし、お茶やお水をお供えし、今の事情を説明すべきではないのかなと思います。
 しかし大事なことは「居ますがごとく斎祭れ」という心であって、何か事業をするのには、お供えをしとけばうまくいくぞ、という心で拝んでいては直ぐに下心を見透かされ、かえって酷いしっぺ返しを受けてしまうかもしれません。それくらいなら「触らぬ神に祟りなし」なのです。要は、お祭りする気持ちこそが大切なのだと思っております。

 それから、二つお知らせをさせていただきます。
 一つ目は行基菩薩のことです。行基さんが749年2月2日に亡くなられて来年で1250年目を迎えることとなりました。
 行基さんは福祉の元祖であり、街づくりの元祖であり、大衆を救済する為の仏教の元祖であります。鍵田先生は奈良市の行政は行基さんの事跡を手本にするとして、行基さんの後追いを自認されるほど信奉されていました。近鉄奈良駅前にも行基像を建立されるなど、行基さんの顕彰にも一生懸命だったことはご承知の通りです。
 丁度、この行基没後1250年を記念して堺市の仁徳天皇陵の南隣にある堺市博物館で「行基特別展」が11月8日まで開催されているところです。関心のある方はこの機会に観覧されることをお勧めします。参考までに展覧会のチラシをコピーして出口に置いておきましたのでご入り用の方はどうぞお持ち下さい。

 もう一つは、鍵田先生が亡くなられて10月26日で4年目を迎えます。今日は忠兵衛さんがお見えですが、ご命日の26日の朝6時30分にお墓のある五劫院へお参りされます。これに合わせて習心館の剣道練習生・父兄、槍の伝習生等一緒にお参りさせていただこうと話合っております。月曜日の朝早くではありますが、ご縁のある方で時間の都合がつく方は一緒にお参り下さいますようお知らせさせていただきます。






2003.02.16