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剣道と人生
一剣興国の習心五則について

習心館道場長 鍵田忠三郎
昭和47(1972)年12月1日

習心館道場(昭和36(1961)年創設)掲額「習心五則」

 私は、奈良の柳生口で習心館道場というささやかな剣道場を経営させてもらっています。その道場では、習心五則というのを掲げて、毎日の稽古の始めに、青少年と共に唱和して精進に努めているのですが、この習心五則には、何の為に剣道を学ぶのか− ということを明かに示しておるつもりです。
 一、一剣国を興すの武道を習うべし。
 二、正々堂々の剣を習い、人格の完成を目的とすべし。
 三、勇気を持し忍耐の剣を習い、礼儀を正すべし。
 四、質実剛健の剣を習い、仁者たるべし。
 五、不動心を習い、敬神崇祖、積徳の道を行くべし。

という、五則をつくり修練に励んでいます。

 この道場では、敵に勝つこと、強い心身をつくることだけが目的ではありません。その目的とするところは第一条に、はっきりと言い表わしています。われわれは国の為に武道を習うのだ、ということであります。これは官本武蔵の熊本三里木にある、お墓の前に「一剣護民」と書いてありますが剣を振うのは自分を護り、敵を斬るのではなく、広く民を護るために用いるのだ、ということでしょう。
 私の道場では、剣は国を興すために用ふるものだ、ときめています。このことは青少年には難解でありましょうが、唱えているうちに自然に体得するところがあると思っています。一剣の道の意味は私ながらに、自己を真二つにするの剣と解釈します。それは大死一番することなのです。道を求めることは、しょせん自己との闘いであります。大死一番自己を本当に死に追いやったとき、はじめて道がみえてまいります。これが大道寺友山の”武道初心集”でもまた”葉隠”の山水定朝の「武士道というは、死ぬ事と見付けたり」というときも、死ぬことを覚悟したとき、はじめて本当に生きる道が生まれてくるものと思います。
 剣道と他のスポーツとの違いは、スポーツは、よりよく生きるためを目的としていますが、わが国伝来の剣道は、よりよく死ぬ方法を見つけることから出発します。このよりよく死ぬことができるようになって、はじめてよりよく生きる人生があると思います。そのことを私たちは先祖から教えられてきているのです。これがスポーツとの根本的な違いでありましょう。
 私たち「道」を志す者にとって、最大の目標は、大死一番「宇宙の大真理の悟得」することであり、そして大真理を用い全世界三十八億の民に行くべき道を示すということであります。これが人間として一番大きな仕事であや、私たちの剣道の修練も毎日、そのためにやるのであり大の目的をここにおくのであります。小さな剣道でなく、大きく人生の生き方を示す剣道を、まず青少年諸君に身体で知ってもらいたいために、解らんでも自己を真二つにすると、国、民族に尽したいの気慨が湧いてくる。この心を習うのだと大声に唱和してもらっています。

 第一条は我々の学ぶ武道の真の目的を説いたもの。
 第二条では、武道を学ぶ、その手段と目的を説いたものであります。正々堂々の剣を習い、人格の完成を目的とすべし。と説いています。大事なことは手段と目的とを混同してはならないことであります。剣の目的は人格の完成であり、それに向って努力することであります。そして手段として、心身の練磨をなし、勝負に囚われない、心を習い、自己に克つの剣の修練するのであります。剣道は、大地に足を踏まえ、天を相手に剣道をやることになりますので、こそくなことは絶対やらない常に身心ともに、正々堂々の剣を習うということになります。人格の完成の時機はありませんから、生涯修業であります。第一条では武道の意義を、第二条では剣道の目的を説いていると考えてもらいたい。

 第三条には、勇気を持し忍耐の剣を習い、礼儀を正すべし。私は生活態度即剣道であると考えています。早起きの出来ない者は、飛び込みが悪く決断が鈍いのであります。眠いところを毎朝パッと起き得る人が真の勇者であります。そして、またぜいたくに馴れ、暖衣飽食している人は勇気がありません。また早飯食いは剣に落着きがありません。早寝早起き粗食そして歩くことをしない人は勇気が出てまいりません。このよう々生活態度を維持することによって、本当の勇気が自然に湧くのであります。この真の勇気をもって道を求めるためには、すべてのことに耐え忍ぶ、そして礼儀を正す。剣道者はこれでなければなりません。

 第四には、質実剛健の剣を習い、仁者たるべし。軽兆浮薄は道を求める者にとっては、厳に戒めなければなりません。日常生活を質実剛健にいたしますと、自然と剣風にこれがでてまいります。そして厳しい剣の修練に耐えておりますと、自然と”思いやり”の心が湧いてきます。これが仁者であります。そして自然と仁者の風格のある剣が生まれます。剣自体に仁者の風格がないものはいけない、そして、それは、自已に対する、きびしさに相応すると説いているのです。

 第五には、不動心を習い、敬神崇祖、積徳の道を行くべし。私たちの人生は、すべて定まっているものであります。すべて定まっていることを知ったとき、ものに心が動じなくなります。すべて一切を捨て得たとき、闊然と定まった道(定命)が見えてまいります。人間は、その定まった道より歩めないのだというのが見えてきたとき、はじめて心が平静になり、不動心が自ら生ずるものがあります。
 不動心は融通無礙のものであリ、時に臨んで如何ようにも変化するものであります。不動心を得て、大道を闊歩し、そして私たちは敬神崇祖をし大事にしなければなりません。
 日本の神さまは、すべて先祖神であります。先祖を大事にしその心を尊ばねばなりません。そしてさらに生涯を通じ、陰徳を積まねばなりません。陰徳を積んでいると心が動じません。不動心をもって、処世するために、剣道を学ぶのだということです。ことに最近は、スポーツ剣道が盛んになり、祖先から伝わってきた本当の剣道が忘れられつつあります。でありますので、習心館道場をつくらせてもらったときから、この習心五則を、皆で唱和し、剣は人の生き方を学ぶものであるとの考え力を維持してきました。「立派な剣道は、立派な生活態度から生ず、そして剣道は国の為にやるものなのだ」と、青少年と共に唱和し自分でもこれによって戒めの毎日を過しています。
 自分の習心館道場の五則の説明で恐縮でしたが”剣道と人生”という与えられたテーマの責を果したいと存じます。                             以 上


 この原稿は、日本武道館の機関紙「武道館ニュース」12月号に寄稿を依頼されたのをそのまゝ収録したものです。
 先年私が解説した習心館道場の修練目標「習心五則」の冊子がなくなりましたので、今の機会にこれにかえてつくらせてもらったものです。
                  鍵田忠三郎


鍵田忠三郎先生

奈良市中央武道場
鍵田忠三郎先生揮毫「一剣興国 太鼓」
































































































2015. 1.25