なるほドリ奈良
大河ドラマに出てきた「宝蔵院流槍術」って?


興福寺の僧が始めた武道
廃仏毀釈で絶え、里帰り

平成25(2013)年2月19日(火)
毎日新聞
回答・鶴見泰寿(奈良支局)



NHK大河ドラマ「八重の桜」
平成25(2013).1.6放映
より
なるほドリ
 NHK大河ドラマ「八重の桜」で奈良発祥の武道「宝蔵院流槍術
(そうじゅつ)」が出ていたけど、誰がいつごろ始めたの?
記者 
 興福寺の僧、胤栄(1521〜1607)です。同時期の柳生新陰流の創始者、柳生石舟斎(宗厳・むねよし)とともに修行したそうです。

Q 何で宝蔵院?
A 胤栄が興福寺の子院である宝蔵院の院主(住職)だったからです。

Q どんな特徴がある槍術なのかな?
A 相手を殺さずにいさかいを収めるという「専守防衛」の理念が根付いているといいます。
 先端が十文字になっている十文字鎌槍(かまやり・長さ2.7b、重さ約2`)を使います。
 通常の槍だと、相手の槍を受ける際に払う必要がありますが、十文字鎌槍は、先端部分で受け止めることができます。
 攻撃でも、三日月形の鎌の部分で相手の手首を傷つけることで戦意喪失を狙います。
 胤栄が猿沢池に浮かぶ三日月を槍で突いたときに、着想を得たという逸話があります。

 
Q 「八重の桜」の舞台は会津だけど、どのように広まったのかな?
A 伊賀出身の武士、高田又兵衛(1590〜1671)が胤栄に師事し、宝蔵院流高田派槍術を体系化し、全国に広めました。会津に伝わっている槍術も高田派です。
 又兵衛は宮本武蔵と親交があり、三代将軍徳川家光の前で槍術を披露するほどの腕前だったそうです。

 
Q 宝蔵院流の本流はその後どうなったの?
A 明治期の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響で、興福寺の宝蔵院はなくなりました。奈良では宝蔵院流槍術も途絶えてしまいました。

 

宝蔵院流槍術興福寺奉納演武会
Q 現在は興福寺で奉納演武があるよね。
 いつごろ奈良に里帰りしたの?

A 宝蔵院流は、旧制一高に継承されていました。1974年に奈良市中央武道場の開設を記念し、旧制一高卒で最高裁元長官の石田和外さんが槍術を披露しました。
 この時、奈良発祥の槍術と知った市民が石田氏に師事し、2年後に正式に奈良に継承されることとなりました。

 
Q どこで稽古(けいこ)しているの?
A 奈良市の市中央武道場で、毎週土曜日です。
 活動の様子はホームページでも紹介しています。




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